冬の出来事
WINTER COLUMN.3
コンティニュエがお届けする冬のコラム。
コンティニュエにゆかりのあるクリエイター3名の方に大人の冬をテーマに、書き下ろしてもらいました。
今回は「森岡書店代表」森岡 督行さん。
短かな時間で得られる学びや熱。大人の冬。休息のお供にご覧ください。
12月のある夜。私は、ある方から「京都に行ったら訪れると良い」と教えてもらっていたバーを探して、烏丸御池付近を歩いていた。普段から薄着なので、この日もウールのジャケットを1枚しか着ていなかったが、京都の冬の風は容赦なくウールを越し、冷たさが直に身体に届いた。探しているバーは酒陶柳野。三条通り沿いの一角、赤レンガの壁にその名前はあった。扉を押して敷居を跨ぐと、事前に聞いた通りの佇まいが広がっていた。お酒のボトルは木の棚の中に全て収納されていて、同じく木のテーブルの上には何もない。目に入ってくる設えは、土壁に掛けられた、一輪の花と、一枚の絵画のみ。絵画は金子國義だろう。カウンターの椅子に腰をおろしてジントニックを注文。シンプルな理由をマスターにお訊きすると「お酒の味に集中してほしいから」。ジントニックを傾けて、氷が薄張りのガラスにあたる音を聞く。柑橘の香りを嗅ぐ。炭酸の感触。冷えた身体が徐々に温まっていく。
ジントニックを飲みながら私は考えた。いまもし壁にかけるものを選ぶことが許されたとしたら、いったい何を選択するだろうかと。まず思い浮かんだのは、資生堂の初代社長の福原信三が撮った写真。福原信三は「商品の芸術化」を目指していたが、当時の香水や化粧品を見ると、ボトルのかたちもラベルのデザインも洗練されていて、目の前のジントニックの佇まいに通じるところがある。ガラスと氷に反射する光り。拡がる香り。写真の静かなイメージも雰囲気にあっているだろう。
或いは、ドイツのデッサウに建設されたバウハウス校舎の写真はどうだろう。バウハウスは、1919年に、ヴァルター・グロピウスや、ワシリー・カンディンスキー、パウル・クレー、モホイ=ナジらの教授陣が名を連ねて開校したが、政治的理由で、わずか14年で閉校したことは、多くの人が知るところだ。デッサウに建設された校舎は、ムダな装飾がなく、線と線で構成された建築。バウハウスが目指していたものの一つを端的に表している。機能美がこの空間にも満ちている。来たる2019年は、バウハウスの創設100周年にあたるが、京都の街にとって100年前とは、そう昔ではないのだろう。そんなことも思う。
絵が変わる頻度を尋ねてみると、前の週まではモランディーの版画か掛かっていたそうだ。確かに、この部屋でモランディーの版画を見ながらお酒を飲んでみたい気がする。要するに、ここに座ったら、黙って見つめて、ドリンクを口にすれば、それだけで良い。1枚の絵を見る美術館にいる気分に浸れるといったところか。お花を扱う立場の人なら、きっとお花で自分と同じ思いを巡らすに違いない。
そうこうしていると、奥からマスターがモランディーに関する本を出してきてくれた。そしてその本には見覚えがあった。限定で200部ほどしか出版されなかったモランディーの豪華本。非常に珍しく、私は過去12年のあいだで一度出会ったきり。いまその1冊は、ある会社のゲストハウスの書架に収まっているはず。はず、と言うのは、私が入手した本が、巡りめぐってここに入って来たのかと一瞬思ったからだ。古書の業界ではよくあることだが、ページをめくりシリアルナンバーを確認すると、番号が違っていた。
酒陶柳野を後にした私は、三条通りを左折して烏丸御池に出て、そこから丸太町駅まで歩くことにした。そして歩きながらこう思った。空間にしてもお酒にしても、よきものを提供しようとする執念がそこかしこに感じられ、それが実現できていることが羨ましいと。京都に行く人にすすめたくなるわけにも頷ける。そう考えると、わずか数十分の出来事だったが、どこか異国の街を彷徨う体験にも匹敵するように思えた。
依然として冬の風は通りを抜けていった。きっと寒気はウールのジャケットを通して中に入って来ているはず。しかし、来たときほどの冷たさは感じられない。もちろん、アルコールが入ったせいではある。ただ、もしあの空間で得た高揚感がなかったら、もう少し長く、京都の冬の寒さを実感できたのではないだろうか。通りをわたって地下鉄烏丸線の入口に入ったとき、現実に戻ったような気がした。すべては大人の冬の出来事だったと言って良いだろう。